第7回 ラスベガス・ジャパンタイムス「武士道」

メディア記事

正義の刀

人は、武器を持つと強くなった気分になります。次に、誰かを倒してみたいという欲望が湧きます。戦いは、次々と繰り返され、自分が倒されるまで終わりません。武器を持つことは、危険な事です。

さて、サムライは、刀を差していましたが、そのような事態にはなりませんでした。サムライの刀は、武器ではなく、警察権と裁判権の象徴だったからです。

サムライには、刀を抜いて良い場合が、次の3つという掟がありました。

1、【上意打ち】主君の命令で戦う時。

2、【仇討ち】主君または親が殺された場合、その仇討。(子供のための仇討ちは禁止されていました。)

3、【応戦】不意に襲われた時。

の3つです。これ以外に刀を抜くことは【禁止】であり、私闘と見做されます。刀を抜こうという動作をしただけでも、切腹や家を取り潰すなどの、重い罰を受けるほど、厳しい掟がありました。また、サムライ以外の人々を斬ると、厳しく詮議され、よほどの理由がない限り許されませんでした。人民は、社会の宝という考え方があったからです。

刀を持つという特権を与えられたサムライは、その命を、世の中のために捧げるという義務を、自らに課せていました。サムライの一人ひとりは、正義の実行者であったのでした。

日本では、明治になってサムライの社会が終わると、海外から、強い者が正義という思想が流入してきました。現代では、金のある者が正義と考えられているかもしれません。しかし、サムライの心は、今も受け継がれています。みなさんは、ぜひ【正義の刀】を身につけてください。

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