達人指南 残心

メディア記事

剣道が、他の武道と大きく違う特徴は、気合を出すことと、残心を執ることだ。この二つの特徴が、剣道を崇高なものにしているといっても過言ではない。

今回は、残心について考える。(残心とは、勝負のあと油断しない心を言う。)

残心の所作は剣道のキーポイント

 残心は相手を切ったあと油断しないという心だが、それは、相手を一刀の下に絶命させることは不可能だ、という含みがあることを理解しておきたい。居合で二の太刀で止めを加える技が多いことも、ひと太刀では決着がつかないことの裏付けといえよう。相手を先に切っても反撃する力は残っているから、必要があって残心を執るこということだ。

 どの古流においても、残心は欠くべからざる心得であるが、この残心を「所作」として表わしているのは、小野派一刀流、一刀流中西派、北辰一刀流、無刀流の一刀流系が主である。それは、流祖・伊藤一刀斉が、とくに残心に注目していたため、それを意図的に「所作」に残したからといえる。

のちに一刀流が北辰一刀流に発展し「剣道」の元となり、また、北辰一刀流から発展した無刀流は「刀に依らず心を以もって心を打つ」という、人の道を説く剣道……もはや宗教といってもよい……になったことを考えると、「残心所作」は剣術が剣道に発展するためのキーポイントだったのかも知れない。

残心は 一刀流系の特徴

 一刀流系の特徴は、技を心で使うとしているところだ。たとえば、「切り落とし」である。剣を切り落とす技術の名称だが、一刀流免許皆伝小川忠太郎先生によれば、この言葉は、生きるという執着心を切り落とさなければ、切り落としは掴めない、という精神的な意味も示唆しているという。

 これは剣法上の「捨て身」と同じであるが、勝つための剣ではないという発展が一刀流の特徴だ。言葉を足せば「我を切り落とし、生き死にを捨てる」ということで、禅でいえば無心の境地を指している。

 一刀流の奥義は、初期にここまで深まっていたので、時代の平和とともに発展し、結果的に剣の技術だけでなく、道としての姿を剣に与えることになった。

残心所作の思想

 残心は、油断をしないということの奥に隠されている「一刀では相手を絶命させることはできない」という真理を、残心の所作の容に表わし“止めを刺さずに、生かしたまま決着をつけなさいと”暗に促しているといってもいい。

「軽い斬撃で浅手を負わせ、戦力を削ぎ、残心で戦意を奪って戦いを終わらせろ」ということで、つまり、相手を殺すまで剣を使うのではなく、それ以前に戦いを納めることが、残心の真の意味するところといえそうだ。

 イラク戦争のように米国が徹底して叩いても、戦争は止まない。武士の時代でも、相手を殺せば、相手の縁ある者にあとから狙われる。相手を殺すことが、平和につながらないということは明白だ。

 それを一刀流の残心所作は示していて、剣道形にも採用されている。争うことの無意味さを相手に知らせ、仲良く平和に生きるための道を残心所作で表わす。これは、剣独特の重大な思想だ。

残心以前

 さて、残心所作の前には“相手を仕留めない”ということが大切である。つまり、一刀は軽くて良いことになる。軽く切るのであれば、剣はより速く動くので、相手の技術を凌ぐこともより簡単になる。一刀斉の剣は、それで強かったのではないかと推測できる。勝つということの意味を理解すると、軽くてよい意味がよりはっきりする。

先にも述べたが、勝つということは、人が人を征服することではない。「征服するという考え方は、西洋的な考え方である」と、禅の鈴木大拙博士は「東洋的霊性」と133 剣道日本 2014.12いう講演で述べている。「登山家が、頂上に登って『山を征服した』などという『征服』という言葉は、明治以降、西洋から入ってきた言葉であり、日本的には『山と共にある。または共に生きる』という考え方なのだ」そうである。

 武田信玄が「戦いは、五分の勝ちをもって上となし、七分を中とし、十を下とす」と言い、「最上の勝ちは、戦わずに勝つこと」と言っていることも、相手を生かすことが、最高の勝利という証になろう。武士の戦は、天下を平定して争いのない世の中を目指したからこそあったので、勝つ意味は、争いを納めるということ、共に生きる環境を作るということだ。つまり、日本人の考える戦いとは相手と共存することが目的といってよい。剣の教えにも「打って勝つのは下であり、勝って打つのは中、打たずに勝つのが上」とある。

剣道形の精神

 佐藤博信先生は「どんな達人でも、相手を切ろうと思うと切られる」と言った。ミサイルの時代の現代は、戦えば双方が壊滅する。「剣術」は、相手に勝つことが重要な要素であるが、「剣道」では、戦えば必ずお互いに傷つくことを認識し、相手と仲良く生きることを稽古の末に学ぶことが大切なのだ。

 だから、私たちの竹刀の一本は、命まで取らず、生かしたままの一本であり、残心を執って反撃を許さないところを工夫すべきなのである。現代の剣は、こうしてこそ本当の価値が出る。この「共存共栄」思想が、日本剣道形の残心の中に脈打っていることを理解したい。

 あえて言えば、日本剣道形は、単に刀法の技術にとどまらず、日本人の平和の精神を表わしているといえるのだ。

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